誰かが「教科書は現代史をやる前に時間切れ」と言ったけど

 桑田佳祐が書いた曲に『ピースとハイライト』というものがある。僕はサザンも桑田も好きだし、この曲のメロディも当然好きだ。歌詞にも一定の共感を示していた。葡萄ツアーではかなり盛り上がった記憶がある。

 

 世界平和を謳ったこの曲の一節が表題の通りだ。つまり、歴史の意義を現代に直接投影することに見出したのだろう。僕はこれだけは違和感があった。現在進行形のものを評価しようという試みは非常に難しいものだ。

 

 地動説は宗教と科学の境界を争う一大トピックで、学校でもそのように扱われるだろう。地動説が広く浸透したのはもう何百年も前で、天動説は完全に古典化している。だからこそ、天動説やそれを中心に据えようとしたかつての宗教観を批判する流れで授業が進行するのだろう。だが、現在のことを評価することは非常に難しい。例えば、戦争はある種の絶対悪のようにと捉えられているように感じるが、必ずしもそうとは限らない。戦争によって勝ち取った正義も存在する。我々日本人はいつまでも続く戦後の十字架を背負い、それが恥ずべき過去だと刷り込まれているが、後世での評価はわからない。ペストは14世紀にヨーロッパを中心として8000万もの命を奪ったと言われるが、この災厄さえポジティブに捉えようという向きがある。つまり、この人口減少によって農奴の開放が行われ、現代の平等の価値観の礎になったというものだ。スペイン風邪第一次世界大戦終結を早めたと言われている。

 

 あの戦争も、東西のぶつかりの先鋒として、それは地球のプレートが地震という形でその歪みを直すように、消化されたと考える向きが出てくるかもしれない。こればかりは現代に生きる我々にはわからない。古典化の時間が必要なのだ。

 

 この風化の時間こそが大事だ。風化を経て形成された事実に対する評価の蓄積が歴史なのだ。歴史は事実の連続だけで成立するのではない。こういう見方を忘れると自分の中にある軸がブレる。いつか共感していた僕をしばき倒したい。