ここ3年

 ここ3年久保田利伸にドはまりしています。きっかけはふとしたものでした。僕の祖父は音楽を聴く事が趣味です。日々古今東西問わず様々な音楽を聴いています。たまに、祖父の家にあるCDやレコードを漁ってジャズや古典の傑作やなんやを聴いていました。そんな事をしている折に出会ったのが久保田利伸の『TAWAWAヒットパレード』でした。その没入感足るや。僕もそれまで色んな音楽を聴いていて、でも、そこに没入する体験というのはほとんど持ち合わせていなかったのです。話は少し変わりますが、僕は同じものをひたすらリピートすることが好きです。冒険心もあるのですが、お気に入りのご飯やさんを見つけると平気で1年毎日同じ店の同じメニューなんてこともあります。さらに話を逸らします。我が家は専らANAばかり乗る家庭なのですが、ANAでは機内ラジオなるものがあります。JALなどには乗ったことがないので、他の航空会社がどうなのかはわかりませんが、それはこの際どうでもいいです。僕は飛行機に乗ることが比較的多かったのかなと今更思い返すのですが、飛行機に乗った際は必ずその機内ラジオを聞いてました。ニュースであったり、落語であったり、ヒーリング音楽であったり、色んな分野のものを選んで聴けたはずですが、そこでも僕は毎回同じものをひたすらリピートする少年でした。それが久保田利伸の『Upside Down』という曲です。当時の僕の音楽体験と言えば、父の車で流れるサザンやB'zなどの歴史あるJ Popや、祖父の家で聴くクラシックやオペラ、そして趣味のボカロが大半を占めていました。当時車のCMでテレビでも流れていたと思うのですが、その久保田利伸の音楽に完全に魅了されていました。旅行に行くときのひとつの楽しみにまで昇華していましたね。よく聴いていたボカロの電子音との親和性も高かった久保田利伸のその曲は、ボカロやそれをカバーした歌ってみた動画にはない心地よさを持っていました。その心地よさを世間ではリズム感の良さに求めるようですが、それだけでは機械入力のボカロを越えるはずがありません。じゃあグルーヴ感?僕は未だその心地良さに対する明確な解答を持てていませんが、今まで体験したことのなかったものでした。彼の声には人の体を勝手に揺らしてしまう心地よさがあります。それはまさに衝撃の出会いでしたね。ですが、当時の僕は音楽というものに重きを置いて生きていませんでした。どっちかというと(比較するようなものではないですが)、読書への好きやエネルギーが勝っていました。あの時使っていたイヤホンではベースの音もまともに聴けなかったと思います。家に帰って他の久保田利伸の曲を漁るといった行動を一切したことがなかったのです。当時の僕をしばき倒したいですね。で、話を戻すと、祖父の家で『TAWAWAヒットパレード』を聞いた時、あの人だ!と思ったのです。恐らく当時の僕はあの曲を越えない久保田利伸に出会う事を恐れてオタク的消費行動をしなかったのでしょうが、その曲はすぐに僕のこれまでの音楽体験を越えていきました。B'zのシェーンがかっこいいとか稲葉さんの太い素直な声が好きとかTAKのカッティングやっぱ気持ちええわとかそんなことを過去のものにしてしまいました。B’zも今でも大好きですけどね。今回で言えばsickとMR. ARMOURが名曲。でもそれ以降は久保田利伸の音楽をひたすらに漁る日々でした。だってオタクだから。でもこの体験は初音ミクに出会った時と変わらないはずなんです。初音ミクとの出会いも久保田利伸のそれと等しく衝撃的だったはずです。10年以上前のことなので、理性的に振り返ってしまうせいで、今の僕は久保田利伸を神格化している面もあると思います。じゃあ僕がなぜこの久保田利伸をことさらにすごいと思ったか。あるいはなぜこんな記事を書かなきゃいけないような衝動に駆られているか。それは彼がさらに世界を広げてくれたから。

 久保田利伸について色々調べると、デビュー当時の久保田利伸の先進性に関する話題をよく目にします。初めてJ Popにラップを導入した人だとか、R&Bを初めて日本に浸透させたとか。僕が特に興味を持ったのは後者の部分です。久保田利伸の歌詞にはたまに過去の音楽の偉人とか曲名とかが出てきます。Marvin Gayeとか、my sharonaとか。そういうのってなんなんだろうって思うんです。特に深追いしたのが黒人音楽と言われるもの。Stevie Wonderとかさっき出たMarvin Gayeとかそこらへんですね。でも最初の方はあんまり楽しい音楽ではなかった。Stevie Wonder のSir Duke で気になったDuke Ellington のジャズの方が馴染みました。でも、日々久保田利伸のリズムに体を揺られているうちに、彼らの音楽まで楽しくなってきた実感がありました。この体験を最近僕は言語化する機会を得ました。久保田利伸の先進性だとかなんだとかっていうのは、要するに、彼が日本語話者でありながら、彼らのようなリズムを持っていたということなんです。これはなにより奇跡的です。日本語には日本語のリズムがあります。日本語の音域があります。代表的なのは575。沖縄民謡を聞けば沖縄っぽいなと思うはずです。それは我々にはない言語を持っていたから。北朝鮮の例のアナウンサーや学校で習った英語を思い出せば、その言語にはそれぞれ特有のリズムや音域があることを実感できると思います。そして、言語は思考を定義します。我々が思案する時、言語を越えることはありません。夢で見た儚い記憶を辿ろうと、言語で映像を呼び起こすことを望めばどんどん手から零れ落ちていきます。映像を直接思い出すことは出来ません。つまり、日本人は普通、日本語を越えないんです。日本語にない感性を我々が持つことはあまりありません。よく聞く例が、日本語は雨に関する言葉が多いとか。雨の少ない地域ではそんな言葉定義する必要がないし、思い至る可能性なんてもっとないんです。でも、久保田利伸は黒人のリズムを持っている。これが奇跡的なんです。もっと言えば、彼は日本人で日本語話者なのに、黒人のリズムも確かに持っている。ただ黒人のリズムを持っているだけでは変な曲ばっか歌う変なにーちゃんですが、素晴らしいバランス感覚も持っていたのだと思います。そして、我々日本人に対し、絶妙な和洋折衷を示してくれた。例えて言うなら、お父さんが動物園で肩車してパンダを見せてくれたといったところでしょうか。柵から身を乗り出して見たその光景は異国情緒溢れるけれど、何か身近に感じるところもあって、でもやっぱり別世界なんですね。一度その高さから見えた魅力的な世界に僕は興味津々で、しかも成長した今は自力でその柵から半身を乗り出して見れるんですね。彼が僕にもたらした音楽体験はさらにその裾野を広げ、今では完全に収集がつかなくなっています。そして、色んな出会いが彼に帰結します。こんな音楽で育つとこういう感じの曲になるのかな、とかこれはこの曲と似てるな、とか。久保田利伸という人が我々の世代にはあまり馴染みが無くて、共有する相手がおらず、たまに寂しさを感じることもあるのですが、是非一度、久保田利伸の音楽に耳を傾けてほしいと思います。こういう感じの曲が好きなんだけどおすすめない?とかあればどんどん僕に聞いてください。

 今回はポケカでもレートでもなんでもない記事を夜中の衝動のままに書きなぐりました。まさに、心つかまれた隙に Upside Downな僕でした。