これまで、さも当然のようにINEOSという名前を出していたが、それについて深く言及していなかった。僕が最も応援しているチームであるのは伝わっていただろうが、何故応援し始めたのかや、その沿革に至るまで、色々と語りたい。
現在はINEOS Grenadiersという名称で活動しているイギリス籍のチームだが、元々はイギリス人でツールドフランスを制覇しようという国家的事業の一環として2010年に起こったチームだった。当時の名をチームSkyというそのチームは、徹底した合理主義と豊かな資本を武器に、当初は5年内にという目標だったにも関わらず、2012年にはもう達成してしまった。その成功は、マージナルゲインというキーワードでよく語られる。つまり、1%の改善を積み重ねていけば、それは大きな成功にいつかつながるというものである。
この哲学がチームの根底にある。これまであまり踏み込まれていなかった領域にも積極的に科学を持ち込み、新興チームながらすぐに王者のチームとして君臨するようになった。元々、プロロードレースに自分で黒字を出す能力はない。公道でレースをし、チケットや放映権料がチームに入ってこないからだ。チームは広告塔としての価値を高めるしかなく、トップチームであっても資本力に乏しいところが多かった。その中でイギリス人の絶対的エースとして才覚を表したクリスフルームのもとに、当代最強のエースたちを揃えてアシストに据え、フルームによる必勝態勢を築いた。それだけの資本力がこのチームにはあった。
フルーム得意のTTで稼いだリードを山岳ではその最強アシスト軍団が最後まで守り抜く。黒の軍団と恐れられたスカイトレインはそのあまりの最強ぶりに、他チームのエースの戦意を折るほどだった。フルームは結局2012年から2014年を除いて17年まで、3連覇を含む4回ツールを制覇している。
まさに最強の軍団だった。しかも、グランツール、特にツールドフランスでの総合優勝にだけ注力し、スプリントやクラシックにはあまり目もくれない姿勢やツールでのディフェンシブすぎる走りは、ロードレースをつまらなくしているという批判も付きまとっていた。その批判はフルームのドーピング疑惑とともに大きくなっていく。しかしその批判を完全に吹き飛ばす強さを披露したのが、2018年のジロ・デ・イタリアだ。
初日の落車などで優勝最右翼のフルームは序盤からタイムを失い続け、一方でライバルチームのイギリス人サイモンイエーツは圧倒的な登坂力を見せ、2週目を終える頃には既にステージ3勝をあげ、苦手と思われたタイムトライアルにあってもTT世界チャンプにして前年覇者のドゥムランからあまりタイムを失わなかった。ドゥムランの登坂力を考えるとサイモンの優勝はほぼ決まったか、といった論調の裏で3分以上遅れるフルームは最早終わった存在と位置付けられていた。
しかし、フルームと当時のチームSkyはすべてをひっくり返した。それが伝説の19ステージだ。詳しくは他を当たってほしいが、ディフェンシブなチームが一転攻勢に出て、そして誰も予想だにしなかったフルームによる80キロの一人逃げ、その果てには3分半を逆転しての人生初のマリアローザが待っていた。これによって総合優勝を決定付けたフルームは翌日の最終決戦でドゥムランを再び下し、グランツール3連覇、生涯グランツール制覇を達成した。
このチームには、いくらかの批判と、それを弾き飛ばす圧倒的な実力が備わっている。さらに、ロードレースの奥深さを僕に教え、導いたチームでもある。それがグランツール4連覇、五勝クラブ入りを目指す同年のツールドフランス、僕が初めてロードレースを観戦したレースである。
ジロを誰にもできない方法で優勝したツール3連覇中のチャンピオンを差し置いて、他に優勝候補など存在しなかった。しかし、その予想に反して序盤のフルームはあまり調子が上がらない。なんてことのない場所でも落車してしまう。そんなエースの不調の裏でタイムを着実に積み上げたのがチームメイトで一応サブエース格のゲラントトーマスである。最初の本格山岳決戦でステージ優勝とマイヨジョーヌを手にすると、翌日もその圧倒的な登坂力でもってステージ優勝を飾った。
トーマスがマイヨジョーヌを着ること自体は過去にもあって、その際はチーム内でキレイにリレーし、そのままフルームが総合優勝していた。しかし、このころから真のエースはどちらなのか、という話題が取りざたされるようになる。実際、ミスを重ねるフルームに対し、すべてに落ち着いて対処するトーマスは、日に日にタイムを伸ばしていっていた。どちらも古くからのチームメイトで、お互いのリスペクトを以てチームが総合優勝することが大事だと答えていたが、ついにフルームがエースの座をトーマスに渡す瞬間がやってくる。ピレネーで限界を迎えたフルームはトーマスにそのことを伝える。その後はとても簡単である。フルームはこれまで受けた献身的なアシストの恩返しをするだけである。
実際にライバルたちのアタックにことごとく対処して見せた。そしてトーマスもそれに応える働きで直近のライバル2人からしっかりとタイム差を広げた。そこにはベルナルという恐るべき新人が存在したことも忘れてはならない。2人のエースを抱えるベルナルはまずは2人のための仕事をし、さらにフルームが千切れた後もトーマスのペーシングを行った。エース同士のアタックがかかって遅れをとっても、それでもフルームのもとで三度仕事をし、これは最終的にフルームの総合3位を守ることになる。
このようにクイーンステージを完璧なチーム力で乗り越えたトーマスに与えられるのは、パリでのマイヨジョーヌ、つまり総合優勝の栄光である。しかも、それを祝う表彰台には盟友フルームがいる。これまでフルームのために八面六臂の働きをしてきたトーマスが、チームのためにエースとして働き、フルームはそれを全力でアシストする。ロードレースの自由度の高さを教えてくれたのがこのレースだった。そして、それが僕がロードレース沼にハマったきっかけである。
その翌年にもドラマは待っていた。フルームが前哨戦のドーフィネの試走で大腿骨骨折などの大怪我を負い、ツールの出場はおろか、選手生命すら見通せないような状況となってしまった。トーマスは当然エースとして走るが、そのサブエースとして大抜擢を受けたのがエガンベルナルである。そしてまたドラマがやってくる。
序盤にマイヨジョーヌを獲得したフランスの英雄アラフィリップ。いずれ山岳でタイムを失うのは時間の問題とおもわれていた。そうでなくとも本格山岳に挑む前のタイムトライアルでトーマスがマイヨジョーヌを奪うと多くが考えた。しかしその予想を裏切るマイヨジョーヌマジックが起こった。アラフィリップはトーマスに勝つどころか、ステージ優勝までしてしまったのである。フランス人として35年ぶりの総合優勝が見えて湧き立つフランスで、ブリティッシュチームにかかる重圧は相当なものだっただろう。そそんな中、翌日のトゥールマレーでトーマスはアラフィリップに遅れを取ってしまった。興奮冷めやらぬフランスの中で、ついにマイヨブランに袖を通したベルナルは着々と順位をあげていた。
18ステージのダウンヒルでベルナルとトーマスの順位が入れ替わったが、それまで一貫してトーマスがエースであった。それが変わったのは悲願達成まであと2日となる19ステージである。大会最高地点を目指しての登坂で、ベルナルは強烈なアタックを繰り出す。トーマスに先行すること1分、その後方ではアラフィリップが無残にも遅れていった。その後のダウンヒルで土砂崩れがあり山頂でのタイムがそのままステージの結果となり、マイヨジョーヌはアラフィリップの手から零れ落ちてしまった。そしてこの年もまたあのドラマを見たことになる。トーマスとフルームがそうしたように、翌日のトーマスはベルナルのアシストを明言。20ステージでもライバルを寄せ付けない走りを見せた2人は、そのまま総合優勝と2位を実質的に手にした。
19ステージの結末に納得のいかないアラフィリップだったが、このステージを前にベルナルと握手をし、健闘を誓い、称え合った。この日も遅れてしまったアラフィリップは最終的に総合表彰台すら失ってしまうのだが、そこにはスポーツの気高さが顕著に表れている。そして総合敢闘賞という形でアラフィリップはパリシャンゼリゼで表彰台に上がり、世界中から最大の賛辞を受けた。
ロードレースにはただ数字を競うだけでない美しさがある。それは各地の景観もだが、それだけにとどまるものではない。ドラマがあるし、気位がある。それを僕が知ることが出来たのは、このチームが強かったからこそである。だから僕はこのチームが大好きだ。
そして、今年のINEOSについても語りたい。今年はついにフルームと袂を分かつ年となってしまった。元来圧倒的エースとしての立場を求めるフルームにとって、トーマスだけでなく、ベルナルやカラパスといったグランツール覇者が続々登場することはあまりうれしいことではなく、また、怪我からの復帰の道すがら、このチームではチャンスを得ることすら難しいから、いつかはそうなるさだめだったのかもしれない。しかし、今年からはチームのレジェンドを欠いて、新しいチームとして動いていかなくてはならない。
このチームの根底にはブリティッシュファーストというものが存在する。近年は南米出身の総合系がエースを務めることが多かった。しかし、再び原点に戻ろうとする意図が今年は明確に感じられる。自転車後進国だったイギリスのスーパースターフルームに導かれた新世代が続々とこのブリティッシュチームで活躍している。その一人がゲーガンハートだ。
トーマス単独エースで臨んだ昨年のジロでいきなり落車リタイアとなった後を継いだ急造エースのロンドン人ゲーガンハートはこれまでエース候補と期待されていながら中々結果を出せずにいた。しかし昨年はステージ優勝で自信を得ると勢いそのままに逆転総合優勝を果たしてしまった。
ゲーガンハートのチャンスが限られていた理由はこの2年の加入選手たちにある。去年加入の若手スプリンターイーサンヘイタ―は既に昨年プロ初勝利をあげている。スプリントだけでなくTTも得意とし、クラシック班のエースだけでなくグランツールでのスプリンター圏平坦アシストを担える逸材である。多少の山なら登れることも当然見逃せない。
さらに、既に次代のイギリスエースとしてツールでマイヨブランを獲得したこともあるアダムイエーツが加入した。今年既にポガチャルとの大熱戦を繰り広げ、惜しくも総合優勝とはいかなかったが総合2位とエース、チームともにグランツールで十分戦っていけることを示した。既にブエルタでのエースが内定している。
これだけではない。なんといっても最大の注目はトムピドコックである。小さな巨人は英国きっての至宝で、自転車のかかわるありとあらゆる分野でチャンピオンとなっているほどの逸材である。U23やジュニアカテゴリの実績を数えだしたらキリがないが、特筆すべきは既にシクロにおいてマチューやファンアールトに肉薄する走りを見せていることだ。不運があったとはいえ、マチューに土をつけた数少ない人類である。
ベイビージロの山岳ステージを立て続けに優勝し、TTを最速で駆け抜け、悪路では最高のバイクコントロールを見せ、さらにはスプリントでヘイタ―とワンツーフィニッシュするほどの実力を持つこの若者の未来は全く想像がつかない。4賞ジャージ独占を夢見るのも、やり過ぎではないだろう。
最強を標榜するこの軍団は、次の時代に移った。フルームの時代から、トーマス、ベルナルというチャンピオンを輩出した過渡期を経て、フルームがイギリスに蒔いた種を立派に咲かせる時だ。特に英国人の未来に目を向けて応援していきたいと思っている。また、フルームのリハビリはまだまだ長いものになるのだろうが、ぜひともこの最強軍団と真正面から打ち合うほどの復活を見せてほしい。リッチーだって最後に表彰台に乗って見せたのだから。